大阪市でも指折りの交通量を誇る交差点の地下に、長堀橋駅はひとつの“亡霊”の上に建っています。かつて400年前、この場所には木材や銅、そして商人たちの野心を都心へ運んだ運河が流れていました。日本第二の大都市にあるこの乗換駅は、堺筋線と長堀鶴見緑地線を結んでいます。多くの乗客にとってはただの乗換地点ですが、ここは大阪が文字どおり水の上に築かれ、その水路をやがて地下へ葬った街の物語へ静かにつながる入口でもあります。
意味を知って聞けば、駅名がすべてを語っています。「長堀」は「長い運河」、「橋」はそのまま橋を指します。運河が掘られたのは1622年。橋が架けられたのは1625年ごろでした。どちらも今は姿を消しました。運河は1960年代に埋め立てられ、橋も撤去されましたが、その名だけは地上から20メートル下の蛍光灯に照らされたホームに生き続けています。
地上に出ると広がるのは、長堀通と堺筋の交差点です。どちらも大阪を形づくってきた大動脈といっていい通りです。堺筋はかつて、日本の中世交易を支えた港町・堺へ都心を結ぶ道でした。長堀通は、東西に延びていた旧運河の跡をなぞっています。駅があるのは、その二つの歴史が交わる場所。心斎橋の買い物客であふれる界隈から南へ歩いて5分ですが、騒がしさはまるで別世界です。
実用面でいえば、心斎橋駅が混みすぎていて、日本橋駅は少し遠い。そんなときにちょうどいいのが長堀橋駅です。心斎橋筋商店街の南端、島之内の飲食街の北端へ向かうにも最寄りになります。2路線、8つの出入口、そして日本有数の長さを誇る地下商店街「クリスタ長堀」へ直結。使い勝手はかなりいい駅です。
歴史
大阪はかつて「八百八橋の町」と呼ばれた。その大半は、技師ではなく商人が掘った運河に架かる橋だった。長堀川はそのなかでも特に重要で、大阪の商業中心地を東西に貫く全長2.5キロの水路として、材木置き場、銅精錬所、石材市場が並んでいた。300年以上にわたり、ここは働く都市の動脈だった。だが1960年から1964年にかけて、市はこの川を埋め立て、舗装し、その下に駐車場まで造った。
長堀橋駅が開業したのは1969年12月6日。堺筋線の最初の区間である天神橋筋六丁目駅から動物園前駅までの開業に合わせて誕生した。時期は意図的だった。大阪万博まであと数か月。大阪には新しい地下鉄路線を走らせる必要があったのだ。この駅に2本目の路線、長堀鶴見緑地線が加わったのは1996年。こうして、現在の乗換駅としての姿ができあがった。
転換点
1614年、京都の商人だった岡田新斎は、内戦の勝ち筋に自らの財産を賭けた。彼は満留清兵衛、池田屋次郎兵衛、伊丹屋平右衛門の三人とともに、大坂の陣で徳川方への物資供給に私財を注ぎ込んだ。戦いが1615年に終わると、勝者となった将軍・徳川秀忠は、金よりも価値のあるものを彼らに与えた。新しく開かれる運河沿いの開発権である。
この運河の掘削には1616年から1622年まで、6年を要した。岡田新斎はその上に橋を架け、つい先ほど城を倒す側に立った男らしい自信で、自分の名を取って心斎橋と名づけた。いまの長堀橋駅から西へおよそ800メートルのその橋が、大阪で最も有名な商店街の種になった。長堀橋はその少し後、1625年ごろ、運河と旧堺街道が交わる地点に架けられた。
両方の橋は、公儀橋という珍しい格付けを受けた。地元の町人ではなく、幕府そのものが維持管理する橋だった。長堀橋は1877年12月に鉄橋へ架け替えられ、1912年5月には新設された大阪市電を通すため、幅21.6メートルの鋼橋へと拡幅された。1964年までに、その下を流れていた運河も橋そのものも姿を消す。いま残るのは7番出口近くの小さな石碑だけ。見落としやすいが、何を記念しているかを知ると、なかなか忘れられない。
交通の結節点としては実用本位で、景色を楽しむ場所ではない。けれど、通りの下に重なる歴史を知れば、少し立ち止まる価値は十分ある。出口近くの記念碑は、400年の歴史をもつ長堀川がかつて流れていた場所を示している。この水路は大阪の商人経済を形づくり、心斎橋の商店街を生んだ川でもある。すでに心斎橋や堺筋本町方面へ向かう予定があるなら、ここで地上に出て5分寄り道しても損はない。
駅そのものを通り抜けるだけなら2分もかからない。〒542-0081 南船場1-10にある長堀橋の記念碑を探し、案内板を読むなら10〜15分ほど見ておきたい。長堀通の地下に延びる地下街「クリスタ長堀」で買い物や食事をするなら、30〜45分あるとちょうどいい。
ここには大阪メトロの2路線が乗り入れている。堺筋線(6号線、茶色)と長堀鶴見緑地線(7号線、緑色)だ。堺筋線がこの駅に開業したのは1969年12月6日で、長堀鶴見緑地線はその後に加わった。都心部を東西と南北に抜ける路線どうしをつなぐため、乗り換えにはかなり便利な駅である。
この駅名は「長い堀に架かる橋」を意味し、1625年ごろに長堀川に架けられた橋に由来する。長堀川は1622年に開削され、300年以上にわたって大阪の産業を支える背骨のような水路だった。材木商、銅の精錬業者(初期の住友家もそのひとつ)、石材商がみなこの川岸で商いをしていた。運河は1960年から1964年にかけて埋め立てられ、橋も撤去され、その地下に地下鉄駅が造られた。
はい。長堀橋駅を含む大阪メトロの駅には、エレベーターと点字ブロックが整備されている。両路線ともホームドアを設置済みだ。出口ごとのエレベーター利用可否は事前に大阪メトロの公式サイトで確認したほうがいい。すべての出口が段差なしとは限らない。
クリスタ長堀は、長堀通の地下を走る地下街で、駅から直接入れる。場所は、かつて長堀川が流れていた帯そのものだ。つまり、17世紀の水路の跡をたどりながら買い物をしていることになる。館内にはレストラン、ファッション店、スーパーマーケットが入り、複数の駅出口ともつながっている。
長堀鶴見緑地線で西へ1駅行けば心斎橋駅で、所要時間は約2分。地上を長堀通に沿って歩いてもおよそ10分で、途中には運河の記念碑もある。心斎橋筋商店街の名前自体、17世紀の商人・岡田新斎が、長堀橋の名の由来にもなった同じ運河に架けた橋から来ている。
1622年に開削された長堀川は、およそ340年にわたり大阪中心部を東西に流れ、街をつくった木材、銅、石を運んでいた。戦後のモータリゼーションによって、この運河は水路より道路として使うほうが都合のいい存在になる。東側区間は1960年から1964年にかけて地下駐車場を造るため埋め立てられ、西側区間も1967年から1971年にかけて続いた。運河の幅は4車線道路ほど、全長はおよそ3.8キロあった。
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