はじめに
タデウシュ・コシチュシュコが命がけで守り抜こうとしたワルシャワの地で、彼の銅像が建立されるまでには200年もの歳月を要しました。実に7つの委員会が挑戦しては挫折を繰り返し、ようやくジェラズナ・ブラマ広場(鉄の門広場)にその姿が現れたのは2010年のこと。iPhoneの誕生よりも後の出来事なのです。
この記念碑は、ワルシャワの都市軸である「サクソン軸」上に位置し、ルボミルスキ宮殿の正面に鎮座しています。ワシントンのラファイエット広場にある1910年制作のオリジナルを忠実に再現したブロンズ像で、アメリカの地から100年遅れてようやくこの街に里帰りしたような感慨を覚えます。
単なる英雄の銅像と侮ってはいけません。かつてこの場所には共産主義時代の記念碑が立っており、1991年の撤去後、約20年もの間ぽっかりと空白地帯となっていました。ワルシャワの歴史の断絶と再生が、この像の下に刻まれているのです。
観光の合間にふらりと立ち寄るのがおすすめです。入場無料で24時間開放されています。アクセスは、バスならKrólewska停留所から徒歩4分、トラムのHala Mirowska停留所からは徒歩7分。地下鉄M1・M2線のŚwiętokrzyska駅やRatusz Arsenał駅からも10〜12分ほどで歩けます。
見どころ
ワシントンのレプリカ:コシチュシュコ像の細部
ワルシャワにこの記念碑が建立されるまで、実に200年という歳月を要しました。1817年から2003年までの間に7つの委員会が発足しましたが、度重なる政治的抑圧や戦争、資金難により計画は何度も頓挫したのです。2010年にようやく完成したこの像は、ワシントンD.C.のラファイエット広場にあるものと全く同じ鋳型から作られたレプリカです。総高約10メートル、中央のコシチュシュコ像だけでも3メートルあるブロンズ像は、勇壮な軍服姿でウエストポイントの要塞計画図を手にし、サーベルを携えています。台座の左右には、1794年のラツワヴィツェの戦いで活躍した農民軍(コシニェル)や、アメリカ独立戦争のサラトガの戦いを象徴する人物像が配されており、歴史の重層を感じさせます。早朝の光を浴びたブロンズは特に美しく、背後のルボミルスキ宮殿を背景に、凛とした表情が浮かび上がります。
ジェラズネ・ブラミ広場とルボミルスキ宮殿の物語
「鉄の門広場(Plac Żelaznej Bramy)」という名は、かつてこの地にあった18世紀の都市境界の門に由来します。広場の背後に建つルボミルスキ宮殿は、1970年にアレクサンデル・モストフスキ技師の手によって74度回転させられたという驚くべき過去を持ちます。8,000トンもの建物を49日間かけて16本のレールの上で移動させるという、当時の土木技術の粋を集めた大工事でした。この広場はかつて共産主義時代の記念碑が立っていましたが、1991年に撤去されて以来、20年もの間空地となっていました。現在では、すぐ近くにある1899年創業の赤レンガの市場「ハラ・ミロフスカ」へ向かう地元の人々が行き交い、英雄の像と現代の生活が隣り合わせの、ワルシャワらしい日常風景が広がっています。
サスキ軸を巡る歴史散策
この記念碑は、ワルシャワの歴史を貫く「サスキ軸(Saxon Axis)」の上に位置しています。記念碑から東へ10分ほど歩けば、無名戦士の墓があるピウスツキ広場へ。さらにその先には1727年に造られたワルシャワ最古の公園、サスキ公園へと続く緑の空間が広がります。この一帯は、第二次世界大戦の爪痕と復興の歴史が渾然一体となっており、朝の静かな空気の中、ライムの木々の影が長く伸びる小道を歩くのがおすすめです。記念碑の銘板には、1794年のワルシャワ防衛戦から1944年のワルシャワ蜂起、さらにはバトル・オブ・ブリテンで戦った第303戦闘飛行隊まで、150年にわたるポーランド軍事史が刻まれています。観光客の喧噪が始まる前の早朝、この歴史の系譜を静かに辿ってみてください。
フォトギャラリー
タデウシュ・コシチュシュコ記念碑を写真で探索
ポーランド、ワルシャワの整備された公園に、澄んだ青空の下で堂々と立つ歴史的なタデウシュ・コシチュシュコ記念碑。
DavidConFran · cc by-sa 3.0
ポーランド、ワルシャワのタデウシュ・コシチュシュコ記念碑の頂上にあるブロンズ製の鷲の彫刻の詳細な眺め。
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ポーランド、ワルシャワに堂々と立つブロンズ製のタデウシュ・コシチュシュコ記念碑。記念の花輪が飾られている。
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ポーランド、ワルシャワの花崗岩の台座の上に堂々と立つタデウシュ・コシチュシュコのブロンズ像。国民的英雄を記念している。
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ポーランド、ワルシャワに堂々と立つブロンズ製のタデウシュ・コシチュシュコ記念碑。基部には多数の花輪が飾られている。
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ポーランド、ワルシャワのタデウシュ・コシチュシュコ記念碑の詳細な眺め。倒れた兵士の劇的なシーンを描いている。
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ポーランド、ワルシャワの新古典主義の宮殿の前に堂々と立つタデウシュ・コシチュシュコ記念碑。記念の花輪で飾られている。
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ポーランドの国民的英雄、タデウシュ・コシチュシュコのブロンズ像の詳細な眺め。ワルシャワの石の台座の上に誇らしげに立っている。
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ポーランド、ワルシャワの壮大な新古典主義の建物の前に堂々と立つ歴史的なタデウシュ・コシチュシュコ記念碑。
Z thomas · cc by-sa 4.0
ポーランド、ワルシャワのタデウシュ・コシチュシュコ記念碑の頂上にあるブロンズ製の鷲と蛇の彫刻の詳細な眺め。
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ワルシャワの広場に堂々と座するブロンズ製のタデウシュ・コシチュシュコ記念碑。曇り空の下、壮大な新古典主義の建物に縁取られている。
Raf24 · cc by-sa 3.0
負傷した仲間を助ける兵士を描いた詳細なブロンズ彫刻。ポーランド、ワルシャワの歴史的なタデウシュ・コシチュシュコ記念碑の一部。
Szczebrzeszynski · public domain
台座をよく見ると、シティバンク・ハンドロウイのロゴが刻まれています。200年もの間、募金が集まらずに頓挫し続けたプロジェクトが、企業の援助でようやく実現したという証です。多くの観光客が通り過ぎてしまう、現代ポーランドの現実を映し出す少しばかり議論を呼ぶディテールです。
訪問者向け情報
アクセス
ワルシャワ中心部のジェラズナ・ブラマ広場(鉄の門広場)に位置します。バス停「Królewska」からは徒歩4分(116, 175, 190, 503, 518番系統)、トラムの「Hala Mirowska」からは徒歩7分(4, 15, 17番系統)です。地下鉄M1線「Ratusz Arsenał」駅やM1/M2線「Świętokrzyska」駅からは徒歩10〜12分ほど。シロドミエシチェ地区の街並みを眺めながら歩くにはちょうど良い距離です。
開館時間
広場に設置された野外モニュメントのため、24時間いつでも見学可能です。入場料もかかりません。夜間は広場がライトアップされるため、夕暮れ時の訪問も趣があります。
滞在時間の目安
台座の刻印を読み、ぐるりと一周するだけなら5〜10分ほど。写真を撮ったり、近くのベンチで広場の空気を味わったりするなら15〜20分を見積もっておけば十分です。ここだけを目的にするよりは、街歩きの途中で立ち寄るような場所にあります。
バリアフリー
段差のない平坦な広場に位置しているため、車椅子やベビーカーでも全方向から自由に近づけます。地面は整備されていますが、広場の外縁部には古い石畳が残っている箇所があるため、足元には少しだけ注意してください。
訪問者へのアドバイス
撮影のポイント
午前中、南東側から撮影するのがおすすめです。朝日がブロンズ像を斜めに照らし、背景のルボミルスキ宮殿がすっきりと収まります。像はワルシャワの「サクソン軸」に沿って配置されているので、その延長線上に立つと力強い構図になります。
周辺の散策
すぐ北側には19世紀から続く赤レンガの市場「ハラ・ミロフスカ」があり、西側にはワルシャワ最古の公園「サクソン庭園」が広がっています。これらを繋いで歩けば、ワルシャワの歴史を感じる90分程度の散策コースになります。
近隣の食事
ハラ・ミロフスカと隣接するフードホール「ハラ・グヴァルディ」では、手頃なピエロギからクラフトバーガーまで楽しめます。少し落ち着いて食事をするなら、近くのWierzbowa通りにある「Elixir by Dom Wódki」がおすすめ。本格的なポーランド料理が楽しめ、予算は80〜120PLNほどです。
碑文の裏側
刻印には書かれていませんが、ワルシャワにこの記念碑が建つまでには200年もの歳月がかかりました。1817年の死後、7度も計画が持ち上がっては資金難や占領政策によって頓挫し続けたのです。2009年、シティバンク・ハンドロヴィの出資でようやく実現しました。コシチュシュコが命をかけて守ろうとしたこの街で、彼が最も遅く称えられたという皮肉は、像を見る視点を少し変えてくれるはずです。
おすすめの時間帯
平日の午後、通勤客が落ち着いた時間帯が狙い目です。西日がブロンズを温かく照らします。ただ、11月11日の独立記念日前後は愛国行事のために混雑するので、静かに見たい方は避けるのが賢明です。
歴史的背景
200年放置された台座
コシチュシュコ記念碑の最初の計画が持ち上がったのは、彼が亡くなった翌年の1817年のことでした。当時、ポーランドはロシアの分割統治下。ロシア当局にとって、体制に反旗を翻した英雄を称えるなど言語道断であり、その拒絶がその後193年続く「沈黙」の始まりとなりました。
世代が変わるごとに7つの委員会が組織されましたが、検閲、戦争による破壊、共産主義政権の無関心により、すべてが頓挫しました。コシチュシュコが命をかけて守ったこの街が、ヨーロッパの主要な首都の中で最も遅く彼を顕彰することになったのは、歴史の残酷な巡り合わせと言えるでしょう。
コシチュシュコの最期とワルシャワの長い沈黙
1794年4月4日、ジョージ・ワシントンのためにウェストポイントの要塞を設計した工兵でもあったコシチュシュコは、ロシア支配に対する蜂起を宣言しました。ポーランドの自由を賭け、農民兵(コスィニェル)を率いてラツワヴィツェの戦いで勝利を収めた彼は、そのままワルシャワ防衛へと突き進みます。
ワルシャワの市民もまた、彼の名の下に蜂起しました。4月17日の市街戦では2,000人以上のロシア軍を撃退し、夏の間ずっと抵抗を続けました。しかし10月、マチェヨヴィツェの戦いで彼は負傷し、捕虜となります。その翌年、ポーランドは地図から姿を消しました。
皮肉なことに、ワシントンやクラクフ、果ては彼が客死したスイスのソロトゥルンでさえ早くから記念碑を建てていたにもかかわらず、コシチュシュコが最も愛し、血を流したワルシャワがそれを迎えたのは2010年11月16日のこと。200年という歳月は、単なる事務的な遅れではなく、ポーランドが歩んできた苦難の歴史そのものなのです。
鉄の門広場の亡霊
現在のコシチュシュコ像が立つこの場所には、かつて「ポーランド人民共和国の防衛に殉じた人々」を称える共産主義時代の記念碑がありました。1991年にそれが取り壊されてから、この広場は19年もの間、まるで都市の記憶から欠落したかのように空っぽのままでした。ワルシャワという街の、忍耐強くも苦難に満ちた歴史がこの空白に重なります。
銀行が買った英雄の像
この膠着状態を打破したのは、国家ではなく民間企業でした。2009年、シティバンク・ハンドロウイが100万ズウォティ(約25万ユーロ)の資金提供を申し出たのです。条件は「ワシントンの像と全く同じものを作ること」、そして「銀行のロゴを刻むこと」。グリヴィツェの工場で鋳造されたこの像は、企業資本という現代的な力によって、2世紀越しの悲願を達成したのです。
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よくある質問
ワルシャワのタデウシュ・コシチュシュコ記念碑は訪れる価値がありますか? add
彫像そのものよりも、その背後にある数奇な物語に興味があるなら面白い場所です。ワルシャワがこの英雄の記念碑を建てるまでにかかった時間は、なんと200年。1817年から2003年の間に7つの委員会が設立されましたが、いずれも占領政策や資金難で頓挫しました。結局、ワルシャワに建ったのはワシントンD.C.にある像のレプリカです。自国の英雄の記念碑を建てるために、大西洋の向こうの像を模倣しなければならなかったという事実は、ポーランドの歴史の皮肉を物語っています。
記念碑は無料でいつでも見学できますか? add
はい、ジェラズナ・ブラマ広場(鉄の門広場)にあり、24時間いつでも無料で誰でも近づけます。柵もなく、チケットも不要です。わざわざここを目的にするよりは、街歩きの途中でふらりと立ち寄るのが賢い楽しみ方でしょう。
市内中心部から記念碑へのアクセスを教えてください。 add
バスなら116、175、503番などで「Królewska」下車、徒歩4分です。路面電車(トラム)の4、15、17番なら「Hala Mirowska」で降りて7分ほど。地下鉄のRatusz Arsenał駅(M1)やŚwiętokrzyska駅(M1/M2)からも10〜12分程度で歩ける距離です。
滞在時間はどれくらい必要ですか? add
10分から15分あれば十分です。ブロンズ像は力強いですが、複雑な構造ではありません。台座の碑文を眺め、背後に広がるザクセン軸の景観を肌で感じたら、次の目的地へ向かっていいでしょう。すぐそばにあるルボミルスキ宮殿のファサードを眺めるのも忘れずに。
記念碑の歴史を教えてください。 add
コシチュシュコの死の翌年、1817年には既に記念碑建立の構想がありました。しかし、占領下の政治的混乱と資金不足で、実現まで193年もの歳月を要しました。事態が動いたのは、シティバンク・ハンドロウイが100万ズウォティの寄付を申し出た時です。条件は「ワシントンD.C.の像と全く同じものを作ること」、そして「銀行のロゴを入れること」でした。
かつてこの場所には何があったのですか? add
1980年代までは、ポーランド人民共和国の守護者たちを称える共産主義時代の記念碑が建っていました。しかし、1991年の民主化後に撤去され、その後約20年間もの間、この場所は空き地となっていました。
なぜワシントンの像のレプリカなのですか? add
結局のところ、資金提供者の意向がすべてでした。シティバンクの条件に従い、アントニ・ポピェルによる1910年のオリジナル像を基に、シロンスク地方のグリヴィツェでブロンズが鋳造されました。ポーランドの英雄が、ワシントンの公園用にデザインされたポーズのまま、祖国の地に立っている。どこか不思議な光景です。
見逃してはいけないポイントはありますか? add
記念碑に刻まれたシティバンクのロゴを探してみてください。200年もの間、実現できなかった国家の悲願に企業が刻印を押した、ある意味で最も正直な歴史の証拠です。また、背後のルボミルスキ宮殿に注目してください。1970年、この8,000トンの建物は、ザクセン軸の景観を整えるために、49日間かけて74度回転させられたという驚異的なエンジニアリングの産物です。
出典
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Wikipedia (英語) — Tadeusz Kościuszko Monument, Warsaw
基本的事実、除幕日、鋳造の詳細、共産主義時代の前身の記念碑の歴史
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Wikipedia (ポーランド語) — Pomnik Tadeusza Kościuszki w Warszawie
Citibank Handlowyによる資金提供、市議会の貢献、定礎日、鋳造場所などを網羅した詳細なポーランド語記事
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Dzieje.pl
ワルシャワにタデウシュ・コシチュシュコ記念碑を建立するための200年にわたる取り組み、7つの歴代委員会、2003年の協会設立に関する歴史的背景
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Portal Samorządowy
記念碑協会が直面した資金難とCitibank Handlowyによるスポンサー契約についての報告
最終レビュー: