はじめに
東京都の朝の通勤者を職場へ運ぶ道は、かつて将軍の亡骸をその社へと運んだ道でもありました。そしてアスファルトは、いまもほぼ同じ筋をたどっています。東京都中心部の千代田区から埼玉県、群馬県を北上し、聖なる山の町・日光へ至る国道122号は、日本でも層の厚い歴史を抱えた幹線道路のひとつです。都と山あいを、人々を運ぶ。その目的だけは、神聖な理由であれ日常の事情であれ、一度も途切れたことがありません。
たいていの旅行者は、国道122号の名前を知らないまま、この道に出会います。皇居近くで横切り、川口で渋滞にはまり、あるいは群馬の山のトンネルを勢いよく抜ける。そのとき自分が、周囲の都市より何世紀も古い回廊をなぞっているとは気づかないことがほとんどです。この道はもともと封建時代の街道、徳川幕府の五街道のひとつとして始まりました。1953年に指定された現代の国道は、そこにあった道を舗装したにすぎません。
国道122号に目を向ける価値があるのは、ひとつの名所のためではありません。地図に引かれた一本の線に、何世紀もの時間が折り重なっているからです。江戸時代の石の一里塚が、コンビニのすぐ手の届く場所に残る。狛犬の代わりに石の鯉が置かれた神社が、1日4万台の車が行き交う交差点を見下ろしている。この道は、東京都の濃密な都市中心部と、日本でもとりわけ崇敬を集める聖地のひとつを結んでいます。しかも、400年ものあいだ淡々とその役目を果たしてきたインフラらしい無頓着さで。
端から端まで走れば、およそ180キロのあいだに日本の地理がひと通り現れます。東京都心のガラスと鉄の峡谷、埼玉の平らな郊外の広がり、そして群馬の森深い山越え。そこでは道路が火山岩を穿ったトンネルを縫って進みます。行き着く先は日光。杉並木と金色の社殿が待ち受け、その静けさは、江戸の将軍たちが意図したかのように、東京都の騒がしさと鮮やかな対照をなします。
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Hungry Passport見どころ
足尾銅山と傷跡を残す山々
日本最大の銅山は1610年から1973年まで363年間操業し、その跡地には、どんな記念碑よりも正直なものが残っています。国道122号を進んでいくと、到着前から物語が始まります。何十年にもわたる二酸化硫黄の排出で山肌は裸になり、半世紀に及ぶ植林のあともなお、周囲の森に覆われた峰々とは対照的に、痩せて傷ついた姿がはっきり見て取れます。鉱山跡はいま博物館になっていて、来館者は当時の鉱石運搬トロッコに乗り、生の岩盤をくり抜いた坑道へ入っていきます。入口では気温が最大15℃も下がり、空気は冷たく鉄の匂いを帯び、水滴の音が石壁に反響します。1世紀にわたって鉱石を積んだトロッコに磨かれ、ガラスのようにつるつるになったレールに手を沿わせることもできます。ここは日本最初の大規模な産業公害の現場でもありました。1880年代には銅山排水が渡良瀬川を汚染し、関東平野一帯の農地を破壊し、ついには谷中村という村を地図から消し去るところまで追い込みます。博物館の上方、急な未舗装路を登った先の目印のない斜面には、鉱夫長屋の崩れた石積みの基礎が苔の下に残っています。土からはいまも陶器の破片が現れます。案内板はありません。解説もありません。パンフレットが手短に済ませたがる記憶を、この山はちゃんと覚えています。
渡良瀬渓谷
足尾の南で、国道122号は渡良瀬渓谷へと下っていきます。急峻な川谷に入ると道幅は狭まり、両側から岩壁が迫り、交通音は巨石を打つ水の低い轟きにすっかり置き換わります。秋はおおむね10月中旬から11月中旬にかけてが見頃で、谷の斜面を染めるモミジやナラが深紅と琥珀色に変わり、関東でも指折りの紅葉の名所として知られます。でも、この渓谷はどの季節でも報いてくれます。春は灰色の花崗岩を背景に桜が咲き、夏は樹冠があまりに濃く茂るので、道が地中を走っているように感じられるほどです。旧鉱石輸送路を使って敷かれた単線ディーゼルのわたらせ渓谷鐵道が道に寄り添って走っていて、カーブの向こうから車両が姿を見せる前に、エンジン音だけが谷壁に反響して届くあの瞬間は、写真ではどうしても捕まえられない小さな喜びです。道沿いの小さな待避所に車を止めたら、足元をよく見てください。手作りの前掛けや編み帽子を着せられた膝丈ほどの石地蔵が、雑草のあいだに立っています。鉱夫や水害の犠牲者をしのんで、地元の人たちが置いたものです。足元にはミカンや酒杯、小さなおもちゃが供えられ、季節ごとに、姿の見えない誰かの手で入れ替えられています。
全行程を走る: 東京都から日光杉並木へ
国道122号は、目的地というより、日本の本当のドラマは有名な場所と場所のあいだにあるのだと116キロにわたって言い張る一本の道として捉えると腑に落ちます。起点は北区の東京都。密集したマンション群と自動販売機の光のなかで道が始まり、赤羽の分岐付近では、ひざの高さほどの歩道の角に埋め込まれ、文字がほとんど消えかかった江戸時代の日光街道の花崗岩製境界標が見つかります。埼玉に入ると、関東平野の上に空が大きく開けます。水田、工場の壁、そして冬の空っ風が車体を横に押すことさえある利根川の橋。やがて山が現れます。足尾と渡良瀬渓谷を過ぎると、道は杉林へと登り、日光杉並木へと運んでくれます。これは17世紀初頭に大名の松平正綱が徳川家康をたたえるために植えた、およそ37キロに及ぶ並木です。幹回りが3メートルを超える木もあり、車の全長より太い。杉は生きたトンネルをつくり、樹皮は深く裂けて赤褐色を帯び、8月でも触れるとひんやりして、指先に繊維質の粉を残します。並木の中では音まで変わります。鳥の声はよく響き、針葉の積もった路肩を歩く足音はほとんど消えます。場所によっては三列の並木が見えます。外側の列は、儀式用の内側の列を守る防風林として先に植えられたものです。木の間隔はわずかに揺れています。17世紀の測量人が起伏のある地面を目で見て割り出した痕跡です。ゆっくり走ってください。できれば車を止めて、歩いてみてください。
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埼玉県草加市では、風化した石の街道標と、参勤交代の大名行列に木陰を落とすために植えられた江戸時代の松並木を探してください。ねじれた幹と低い花崗岩の標柱は、幕府の儀礼道路をいちばん手触りのあるかたちで残す痕跡です。
訪問者向け情報
アクセス
国道122号は池袋近くの豊島区を起点に、北東へ158 km進んで日光に至ります。東京都心から車なら、122号を北区、川口と抜けて埼玉へ入り、そのまま群馬の山へ。休憩なしで日光まで3〜4時間を見込んでください。車なしで草木湖周辺の景勝区間、わたらせ渓谷を楽しむなら、上野からJR両毛線で桐生へ約2時間、そこからわたらせ渓谷鐵道に乗り換えます。
営業時間
国道122号そのものは公道です。営業時間も、門も、入場券もありません。沿線の主な立ち寄り先はそれぞれ別の時間で動いています。足尾銅山観光は通年毎日9:00〜17:00(最終入場16:15)。道の駅くろほね・やまびこは24時間使えるトイレと駐車場があり、売店は9:00〜17:00です。2026年時点では、富弘美術館は改修のため12月1日から休館予定。訪問前に確認してください。
所要時間
池袋から日光までノンストップで走れば3〜4時間です。草木湖近くのメロディーロードは15分ほどの寄り道。足尾銅山、道の駅くろほね・やまびこ、草木湖の展望を組み合わせたきちんとしたドライブ旅なら丸1日、8〜10時間が埋まります。2日あれば、わたらせ渓谷のトロッコ列車も加えられますが、これだけで半日仕事です。
料金とチケット
道路そのものは無料です。そのためトラック運転手に好まれています。2026年時点で、足尾銅山観光の入場料は大人¥830、子ども¥410。障害者手帳所持者は無料です。わたらせ渓谷のトロッコ列車は通常の運賃に¥520が上乗せされます。途中下車を重ねるなら、¥1,880の一日乗車券が便利です。
バリアフリー
足尾銅山観光は、段差のあるトロッコ乗車のあと、坑内で足元の悪い300メートルを歩く必要があります。車椅子での利用は限定的なので、事前に0288-93-3240へ電話確認を。道の駅くろほね・やまびこには、バリアフリー対応の駐車区画が1台分と、24時間使える多目的トイレがあります。わたらせ渓谷鐵道のトロッコ車両は開放型で段差があり、車椅子での乗車設備はありません。
訪問者へのアドバイス
メロディーロードを走る
道の駅くろほね・やまびこと草木湖のあいだでは、制限速度で走るとアスファルトの溝が「うさぎとかめ」を奏でます。窓は閉めたままにして、速度を上げたくなる気持ちは抑えてください。速すぎると、旋律はたちまち意味不明にゆがみます。
赤羽で朝飲み
路線南端に近い赤羽の一番街商店街には、朝8時から開く立ち飲みがあります。観光向けの仕掛けではなく、夜勤明けの人や年金生活者のあいだに根づいた本物の習慣です。丸健水産では、おでんと手頃な日本酒が1品¥200〜500。昼前から飲んでいても、理由を聞かれない類いの店です。
季節を選ぶ
秋、10月から11月にかけては、わたらせ渓谷が赤と金の回廊に変わります。この道を走るいちばんの理由がある季節です。冬は本気で警戒が必要です。足尾周辺の山間部は凍結し、トロッコ列車は運休し、東北自動車道を選んだほうが賢明になります。
草加せんべい寄り道
北上ルートの前半、埼玉県草加市には、江戸時代の日光街道の面影を残す復元区間があり、当時の松並木と石の道標が残っています。草加は藩政時代からせんべいの町です。街道沿いの店で焼きたてを買ってください。東京都内の駅で売られている袋入りのものより、歯ごたえが強く、甘さも控えめです。
地下には一枚持っていく
足尾銅山の坑内は、外が群馬の夏の暑さで35°Cに達していても、通年ひんやりとして湿っています。90分ほどの坑道展示で震えないためにも、薄手の上着があると助かります。しっかりした靴も大切です。300メートルの徒歩区間は足元が uneven and occasionally wet.
日光の観光地価格は避ける
北端の日光東照宮周辺の土産物店は、かなり強気に値段を上げています。日光名物の湯波を買うなら、参道から数本奥に入った、地元の人が実際に買い物をする店へ。値段が半分ほどのことも珍しくありません。
食事スポット
必ず味わいたい一品
クマール ダバ
local favoriteおすすめ: バターチキンカレーと自家製ナンは外せません。観光客向けのそれらしいカレーではなく、地元の人が並ぶ、本気の北インドの家庭的なうまさがあります。
店主が常連の顔と名前をきちんと覚えている、本物の町の一軒です。117件の口コミで4.7という数字は、観光客向けに無難にまとめている店ではなく、ちゃんと実力で支持されている証拠です。
串カツ田中 西巣鴨店
local favoriteおすすめ: 串カツの盛り合わせ。豚、えび、野菜をカラッと揚げ、酸味のきいたソースで食べます。東京の気取らないごはんの良さが、そのまま出ています。
きちんと機能している、ちゃんとしたチェーン店です。口コミは663件、いつも安定してにぎわっていて、仕事帰りの会社員が肩の力を抜く店として使われています。安い。気取りはない。満足感はきっちりあります。
てんびん
local favoriteおすすめ: 季節の定食と焼き魚。この店は利益の出るものを固定で並べるのではなく、その日にいい食材で献立が動きます。
口コミ197件で4.4。長く近所に根づき、地元の人がためらいなく信頼している一軒です。見せるための派手さはありません。ただ、まっとうにおいしい日本料理があります。
西巣鴨 YaoyaBal
local favoriteおすすめ: 旬の野菜を、焼き物か日替わりで。店名の「Yaoya」は八百屋の意味で、ここでは野菜が主役です。
2階にある、こぢんまりした親密な店で、地元の人が酒とまっとうな料理を求めて集まります。営業時間が限られているのも、万人受けを狙っていないからです。この町に必要なものだけを、きちんとやっています。
食事のヒント
- check 国道122号近くで食事をするなら、店が集まっているのは西巣鴨や滝野川のような住宅街です。観光地向けではなく、地元の人が普段使いする店が多いエリアです。
- check 小さな店は月曜休みだったり、夜の営業時間が短かったりします。出かける前に必ず確認してください。
- check B級グルメの店がいちばん値打ちがあります。肩ひじ張らない価格でしっかりおいしく、予約もいらないことがほとんどです。
- check 町場の店では、いまも現金がものを言います。円を持っていき、カード払いができるとは決めつけないほうが安全です。
レストランデータ提供元: Google
歴史的背景
動くことを拒んだ道
道は、あっけなく死にます。バイパスに役目を奪われ、経路を変えられ、ショッピングモールの下に埋もれていく。国道122号が生き延びたのは、その役割、つまり権力の座と聖なる場所を結ぶという使命が、一度も古びなかったからです。1601年に徳川家康が道路改修を命じた時点で、江戸と北方の山々を結ぶこの回廊は、すでによく踏み固められた道でした。1635年、孫の家光が参勤交代を制度化し、諸大名に隔年で家族ごと江戸へ行進することを強いると、この道は日本でも屈指の交通量を持つ動脈になります。そして3世紀後に自動車が現れても、技師たちは、ただそこにあった道を広げただけでした。
この経路は、江戸時代の二つの街道に沿い、ときに重なり合っています。ひとつは主たる儀礼道路の日光街道、もうひとつは将軍の私的な日光参詣だけに使われた並行路線、日光御成街道です。この違いはアスファルトの下に消えました。けれど役割は残りました。人は今も、日光の社寺を目指してこの回廊を進みます。違うのは、徒歩ではなく時速80キロで走ることくらいです。
家光の執念が築いた道
三代将軍・徳川家光は、祖父家康の記憶に取り憑かれていました。家康が1616年に亡くなると、その遺骸は最初、静岡の久能山に葬られます。けれど家光は、幼いころから祖父を崇拝し、その名を聞くだけで涙したとも伝えられる人物でした。1617年、新たに造営された日光東照宮へ家康の御霊を遷す段取りを整えたのは彼です。造営そのものは父秀忠が見守りましたが、将軍となった家光こそが、質素だった社殿を、今日まで残る金箔きらめく壮麗な複合建築へと変えました。
家光にとって、日光への道は単なるインフラではありませんでした。信仰が形を持ったものだったのです。彼は街道の維持に惜しみなく資源を注ぎ、参道を縁取る杉並木の保護を命じました。この命令が、いまやユネスコ世界遺産となった日光杉並木街道を生みます。長さはハーフマラソンの距離を上回ります。1635年に家光が制度化した参勤交代は、この道を決して荒れさせませんでした。毎年、何百もの大名行列がここを進み、中には家臣千人超の列もありました。
転機になったのは、1651年の家光自身の死です。彼は祖父のそば、日光に葬られました。これによってこの道は、生者の道であると同時に死者の回廊にもなります。その後、この街道をおろそかにする将軍は、徳川の創業そのものを軽んじるように見られかねませんでした。道の存続は、もはや土木の問題ではありません。政治神学の問題だったのです。
変わったもの: 杉の根の上を覆うアスファルト
道路そのものの姿は、もはや見分けがつかないほど変わりました。かつて旅人が畳に寝てそばをすすった宿場町のあいだを曲がりくねっていた区間の上を、いまは高架のバイパスが車を運びます。江戸時代の役人が密輸の武器や逃亡する女たちを取り締まった関所は消え、代わりに信号機が立ちました。群馬県では、江戸時代の旅人が徒歩で越えた山を、いまはトンネルが貫いています。道路の幅は場所によって3倍になり、路面も踏み固めた土からコンクリート、そしてアスファルトへと変わりました。3.9キロごとに置かれた土の道標、一里塚の多くは道路拡幅でブルドーザーに押しならされ、残ったわずかな塚も交通島の上で、ほとんど誰にも気づかれないままです。
変わらなかったもの: 地図に引かれた一本の線
それでも、この道筋そのもの、つまり日本列島の風景に引かれた一本の線は、ほとんど動いていません。国道122号は今も、江戸城に代わって皇居が建つ千代田から始まり、家康を祀る社に今なお年間何百万人もの参拝者が訪れる日光で終わります。通るのは昔と同じ川沿いの谷、同じ山の切れ目、同じ東京北方の平地です。巡礼の旅も続いています。歩きではなく、車や観光バスで来るようになっただけです。この道が持つ二つの顔も残りました。埼玉の郊外を支える通勤動脈であると同時に、日本有数の聖地へ向かう精神の回廊でもあるのです。4世紀のあいだに道路のほとんどすべては変わりましたが、この道が存在する理由だけは変わりませんでした。
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よくある質問
国道122号は訪れる価値がありますか? add
はい。ただし目的地というより通り道として考えるべきです。価値があるのは、東京都から日光までおよそ158kmに点在する立ち寄り先にあります。足尾銅山観光では明治時代の坑道に当時のトロッコで入れますし、渡良瀬渓谷は10月になると谷が真紅に染まります。桐生近くには、制限速度で走ると実際に音楽が鳴る区間まであります。埼玉の市街地寄りの平坦区間は、パチンコ店や工業的な景色が好きでない限り、無理に時間を使わなくて構いません。
東京都から日光まで国道122号を走るにはどれくらい時間が必要ですか? add
休憩なしの直行なら3〜4時間ですが、何かを見るつもりなら丸1日、つまり8〜10時間みておくのが現実的です。足尾銅山観光だけで90分は必要ですし、草木湖近くのメロディーロードは15〜30分、わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車を往復で乗るなら半日仕事です。2日あれば渓谷でゆっくり過ごし、日光にも慌てず入れます。
東京都中心部から国道122号へはどう行けばいいですか? add
国道122号は豊島区の池袋付近から始まるので、東京都中心部から北へ向かって車を走らせているなら、すでにその路線上にいます。車なら北区を通って埼玉県の川口方面へ北東に進めば乗れます。車がない場合は、桐生駅から出るわたらせ渓谷鐵道が景色のいい山岳区間に並行して走っています。上野からJR両毛線でおよそ2時間です。わざわざ足を延ばす価値があるのは、この山の区間だけです。
国道122号と渡良瀬渓谷を訪れるベストシーズンはいつですか? add
いちばんいい時期は10月中旬から11月中旬です。渡良瀬渓谷が紅と黄金の紅葉で満たされ、関東でも屈指の紅葉回廊になります。春の4月から5月は桜が咲き、トロッコ列車のシーズンも始まります。12月から3月にかけての山間部は避けたほうが無難です。足尾より上では雪や凍結で路面状況が悪くなり、トロッコ列車も運休し、山から吹き下ろす強烈な空っ風が利根川の橋で本当に車を横に押すことがあります。
国道122号は無料で楽しめますか? add
道路そのものは無料の一般道で、黒保根近くのメロディーロード区間も料金はかかりません。窓を閉め、制限速度で走るだけで、タイヤを通して「うさぎとかめ」が聞こえてきます。足尾銅山観光の入館料は大人¥830、子ども¥410です。わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車は通常運賃に加えて¥520の追加料金が必要です。道の駅くろほね・やまびこは無料で、24時間使えるトイレと駐車場があります。
東京都から日光までの国道122号で、見逃さないほうがいいものは何ですか? add
いちばん印象に残るのは足尾銅山です。坑道の入口では気温が10〜15℃下がり、空気は鉄と鉱泉の匂いを含み、1世紀使われてガラスのようにつやを帯びたトロッコのレールに触れられます。足尾へ向かう途中の禿げた山肌も見落とさないでください。100年以上前の二酸化硫黄の排出で山は丸裸になり、何十年も植林を続けたあとでも、周囲の森に対して痛々しいほどの傷跡を見せています。草木湖近くのメロディーロードは本当に妙な魅力がありますし、終点側にある日光杉並木は、400年ものスギが約37kmにわたって大聖堂のようなトンネルをつくる光景で、思わず車を止めて立ち尽くしたくなります。
日本の国道122号にはメロディーロードがありますか? add
はい。群馬県の道の駅くろほね・やまびこと草木湖のあいだでは、アスファルトに刻まれた溝が、制限速度で走ると童謡「うさぎとかめ」を奏でます。いちばんはっきり聞くなら窓は閉めておくこと。速度を出しすぎると旋律は判別不能なうなり声に崩れます。安全運転への誘導と受け取るか、音楽批評の道具と見るかは、人それぞれです。
国道122号と日光街道の歴史はどのようなものですか? add
国道122号は、江戸と日光東照宮を結ぶために整えられた江戸時代の日光街道と日光御成街道の流れを引いています。1636年ごろには五街道体制の一部として道筋が固まり、1635年の参勤交代制度によって、大名が隔年で江戸へ往復したため、軍用水準で維持されました。現在の国道として指定されたのは1953年で、その際に元の道筋の大半は舗装道路に置き換えられましたが、断片はいまも残っています。東京都北区の石の一里塚標、草加の復元松並木、そして日光へ入る手前の杉並木です。
出典
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国道122号 - ウィキペディア(英語)
路線の概要、起終点、全体の経路、延長
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国道122号 - ウィキペディア(日本語)
詳細な路線情報、メロディーロード区間、沿線の休憩施設
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足尾銅山 - 日光市公式観光サイト
足尾銅山観光の開館時間、アクセス、見学内容
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足尾銅山 - 日本政府観光局「日本のローカルトレジャー」
足尾銅山の歴史的背景と見学案内
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足尾銅山 - じゃらん
最新の入場料金、営業時間、バリアフリー情報
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わたらせ渓谷鐵道 - グッドラックトリップ
トロッコ列車の運行時刻、料金、予約情報
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わたらせ渓谷鐵道 - 栃木県公式観光サイト
季節運行の詳細と東京都からのアクセス
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富弘美術館 - みどり市公式サイト
開館時間、入館料金、2026年の改修休館告知
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道の駅くろほね・やまびこ - 関東「道の駅」公式案内
休憩施設の設備、駐車台数、レストラン営業時間
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メロディーロード - ぐんラボ!
国道122号上のメロディーロード区間の場所と説明
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久喜市公式アーカイブ - 日光街道の歴史
一里塚、江戸時代の街道整備時期、五街道図の資料
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ジャパンエクスペリエンス - 日光街道と参勤交代
徳川による道路改修(1601年)と参勤交代制度の成立(1635年)
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日光・足尾周遊案内 - 日光市公式観光サイト
日光駅から足尾銅山へのバスアクセスと所要時間
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AARoadsウィキ - 国道122号
路線指定の歴史と経路の詳細
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アメブロ - 奥のふとみち1689(日光街道歩きブログ)
会津の狐案内伝説、焙烙地蔵の処刑場、道端の地蔵など沿線の伝承
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