写真: Carlin Harris / Pexels
歴史
転換点
一見すると、物語は決着がついているように見えます。フーバーダムは1931年から1936年にかけて、アメリカの決意を示すニューディール時代の記念碑として築かれ、その後、ハーバート・フーバー大統領の名を冠しました。観光客は銘板を見て写真を撮り、そのまま通り過ぎていきます。
しかし、その名は定着しませんでした。記録によると、内務長官レイ・ライマン・ウィルバーが1930年に「フーバーダム」という名を発表したのは、フーバーがコロラド川協定を支持したためでした。大恐慌の中で大統領としての地位が揺らいでいたフーバーにとって、その支持は個人的にも重要な意味を持っていました。ところが、1933年にフランクリン・D・ルーズベルト政権がこのダムを「ボルダーダム」と呼び始め、元大統領の評判がどん底に落ちたタイミングで、構造物からフーバーの名を事実上排除したのです。
転換点は、政治がコンクリートに追いついた時に訪れました。ブラック・キャニオンにそびえ立つのは、一つのダムと、二つの対立する物語でした。フーバーの支持者たちは、川の合意を仲介した人物への記念碑を望みましたが、ルーズベルト陣営は敗れたライバルの名誉を守ることに全く関心がありませんでした。議会が「フーバー」の名を復元したのは、コンクリートの打設が終わり、論争が現場の仕事を終えてからもずっと後の1947年のことでした。
そのことを知ると、堤頂からの景色が変わって見えます。ネバダ州とアリゾナ州の時間を刻む時計は、今も清潔で事実に基づいたものに見えますが、ダムそのものはもはや中立的な存在ではなく感じられます。あらゆる碑文、彫像、磨かれた表面が、単なるコンクリートの祝祭ではなく、記憶をめぐる闘争の一部であるかのように読み取れるのです。
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